高崎駅東口の高崎市タワー美術館で、明後日5日から同館の開館10周年特別展
『平山郁夫展 ~大唐西域画への道~ 』が開催される。

平和への祈りを込めた作品を数多く残した日本画家・平山郁夫(1930-2009)氏。
仏教伝来の道程からシルクロードをテーマに描いた作品は特に広く知られている。

この展覧会では、国内最大規模の平山コレクションを誇る佐川美術館所蔵の
「大唐西域画」を始めとする約70点の本画、素描を展観するとともに、平山氏の
生涯と平和を追求した活動を紹介する。

 

hirayama1.JPGこれは平山氏らをモデルにしたのではないか、と思しき小説がある。

短編小説の名手とも呼ばれた三浦哲郎(1931-2010)の没後に未刊行作品3篇を含め
彼の短編全62篇をまとめて刊行された『完本 短篇集モザイク』(新潮社)に収まる
『いれば』。400字詰め原稿用紙で10枚ほどの小品。

この作品に限らず、あまりにも見事な練り選ばれた日本語で書かれた名手の作品を要約
するのは相当ためらわれるが、敦煌の莫高窟鑑賞のツアー一行が主な登場人物である。

 

hirayama2.JPG幸運にも滞在期限とあわせて修復が終わった未見の石窟群を訪れることができ、
「日本の文化界を代表する長老」一行8名は宿願を達した満足感と歓び喜びに心が常に
なく浮き足立つ。

そして、付き添った世話人らが思ってもみなかったオプションツアーを決行する。
道なき砂漠にジープを半日走らせ向かったのはゴビ砂漠とタクラマカン砂漠の境あたり
に残る玉門関という関所跡。

さすがにこの道中は平坦なアスファルト道に馴れた老人たちの身には応えた。その上、
急遽旅程を変更したため、翌日は早朝から飛行機の替わりに25時間の列車での移動。

ようやく到着したひなびたホテルのいつまでも準備中の看板が掲げられた薄くらいバー
の円卓で、話はクライマックスを迎える。

一行の中の詩人が上着のポケットから白いハンカチを取り出し、卓上に広げる。そして
両手で上あごの入れ歯を外してその上に置いた。仲間が訝しがるなか、中国文学者が理由
を尋ねると、砂漠の砂のせいかしっくりこないからと言い舌で歯茎をぬぐう。

すると洋画家が下あごの入れ歯を抜き取って詩人のものの隣に置き、小説の大家の見事な
純金の総入れ歯、温厚で遠慮深い日本画家の4個の部分入れ歯へと自主出品は連鎖する。
薄笑いを浮かべる団長の仏文学者は呆れるようでも羨望の表情をにじませる。

長老たちによる円卓上の入れ歯の品評会は、みなの放心と不思議な静寂に満たされて、
この話は終わる。

ダヴィンチの壁画、イエスと使徒の13人による『最後の晩餐』の張詰めた空気と対照的な
光景を思い浮かべる。敦煌の仏教美術を存分に堪能し、長旅で食欲は萎える長老8名が
集まる円卓。この「8」という数字に東洋的な意味を探してみたくなる。

何より、触れないとしても両手をかざしたくなるような、燻し銀のような輝きを放ち、閑雅な
香りを漂わせた、そしてこんなに清々しく描かれた入れ歯を私は他に知らない。


hirayama3.JPG高崎で人気のラスク。あのカリッとした食感のお菓子を美味しそうにかじる孫たちを、自分も
あんなふうに食べてみたい、とおばあちゃんは羨ましく眺めていた。でも入れ歯だとどうしても
食べるのがむずかしい・・・。

そんな街の声から生まれたのが、観音屋さんの「観音ソフトラスク」。2度焼きする、という
ラスクの定義はそのままに、用いた素材はカステラ地。

「日本一やわらかいラスク」と胸を張る店主の言葉のとおり、口の中に含むと、舌先だけで
甘くしっとりほどけていくほどのやわらかさが自慢だ。

観音ソフトラスクは街なかの中央銀座通りアーケードにある同店ほか、高崎駅E'siteの物産店
「群馬いろは」でも購入できる。高崎市タワー美術館『平山展』におでかけの際の、旬な一品。
美術館玄関から約160歩、入れ歯の温もりを保てる距離に、その売場はある。

 

hirayama4.JPG

 

◎観音屋 
 高崎市中紺屋町22-1 ℡ 027-325-2000

◎高崎市タワー美術館 『平山郁夫展 ~大唐西域画への道~』(2/5~3/31)
 http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/art_museum/t/2011_05.htm

現代音楽においてはもはや"古典"とも呼ばれる名曲《ノヴェンバー・ステップス》。
武満徹(1930-1996)の名を世界に知らしめたこの曲は、ニューヨーク・フィル
ハーモニック創立125年記念のため委嘱を受けて作曲された。

オーケストラに尺八と琵琶の独奏を配して演奏される、一見協奏曲のような様相をなす
が、作曲者は旧来の日本現代音楽作品のように、単にオーケストラに邦楽器の音を
ブレンドすることは意図していない。

武満が砕身したのは琵琶と尺八の異質な音の領域をオーケストラに対置して際立たせ
ること。しかし作品が単に異国趣味的なものとして受け入れられるのを恐れて、武満は
新作に邦楽器を取り入れることにかなり躊躇したという。               

その過程で、初演の指揮を執る小澤征爾からの心強い激励とニューヨーク・フィル音楽
監督のバーンスタインの真摯な関心を得る。

そして生まれたのがこの《ノヴェンバー・ステップス》。演奏時間20分弱のこの曲は、特別
な旋律的主題をもたない11のステップで構成される。

拍は能楽のようにたえず揺れ動き、演奏された音そのものによって何かを伝えるという
よりも、音と音のあいだにある無数の間が、沈黙に満ちた幽玄な空間を形作る、精妙な
「間」と「呼吸」による音楽である。

長い静寂とともに閉じられるこの曲は、初演時にはセンセーショナルな成功を収め、会場
のフィルハーモニックホールは割れんばかりの拍手と賞賛の歓声で満たされた。しかし
リハーサルは困難を極めたという。

初演の独奏は琵琶が鶴田錦史、尺八が横山勝也。小澤の指揮で始まった最初のリハー
サル、武満は後日こう記している。

 「ふたりの日本楽器の演奏家たちが演奏をはじめると、その途端にオーケストラの
 多くの音楽家たちが笑い出して、あるひとはステージを駆け下りて笑い出し、リハー
 サルは中断しました。実際のところ、これは私にはショックで泣き出したいほどでした」

その騒々しい光景の一方で、

 「よそよそしいオーケストラの雰囲気とは対照的に、鶴田、横山両氏は目を閉じた
  まま、端然としていた・・・」

その時、琵琶師の鶴田錦史は何を想っていたのだろうか?
それは、もしかしたらこの一冊に描かれている光景でもあったかもしれない。

 

sawari1.JPG昨年末に小学館から《ノヴェンバー・ステップス》の初演者である鶴田錦史(1911-1995)
の生涯を取材した伝記『さわり』が出版された。著者はノンフィクション作家の佐宮圭氏。

タイトルの「さわり」とは琵琶の特徴的な響きをあらわすことば。弦が振動しながら楽器の
一部に微かに触れることで生まれる、独特の雑音を伴った音。虫の声のように、命ある
響きを加える複雑で深みのある一音を指す。

これまで、鶴田の《ノヴェンバー》以前の生涯、生い立ちから武満や小沢に出会うまでの
経緯については、ほとんど知られていなかった。それには理由がある。鶴田自身が
それらを自ら封印していたのだ。

鶴田錦史、本名菊枝は北海道に生まれ、幼くして父を亡くした後、兄の住む東京に移り
住む。ここで兄のすすめで琵琶を始める。当時は大衆娯楽として琵琶の全盛期だった。

菊枝は習い始めた琵琶で早々に天才ぶりを発揮する。小学生ながら弟子をとり、一家の
生活を支えるほどになる。そして10代はじめで師匠となりレコードも出すというスター少女
となった。

しかし彼女の人生は大きく揺さぶられる。幸せと思われた結婚だったが20歳半ばで夫の
浮気により夫婦生活は二人の子どもを手放すことと併せて終止符を打つ。

そして20代後半には琵琶からも離れる。すでに、琵琶では生計を立てていける時代では
なくなっていた。

その後、鶴田が飛び込んだのは実業界。ここでも彼女は類稀な商才を発揮する。
大分での占領軍相手のダンスホールやキャバレーの経営に成功、また東京に進出して
開いた高級ナイトクラブには著名人が足繁く通うほどの景況ぶりで、大きな財を成した。

無名のアーティストの才能を見抜き、開花させる才能にも長けていた。彼女が経営する
ナイトクラブには当時学生だった坂本久もミュージシャンとして出演していたという。

「家庭」も「音楽」も捨てた彼女は、このときもう一つのもの、「女」であることも捨てて
いた。男装の恰幅の良い、どうみても男になった鶴田。それはそうせざるを得なかった
のだった。

転機は訪れる。昭和30年、同じく琵琶師だった兄の追悼演奏会で久しぶりに舞台に立つ。
そして、数年後には本格的に琵琶の演奏活動を再開する。しかし、琵琶を取り巻く環境に
往年の華々しさはすでになく、

古色蒼然とした琵琶師界に危機感をいだいた彼女は、新たな奏法や他分野音楽との
コラボレーションにも挑む。これが《ノヴェンバー・ステップス》へとつながる契機を招く。

運命的な武満徹との出会い、鶴田は経営していた店を売り払う。そしてニューヨークでの
小沢との共演。そこにはいくつもの伏線があったことが、この本の中にはスリリングな
展開とともに記されている。

 


sawari2.JPGこの鶴田錦史が、高崎で暮らしていたという。

関東大震災後の東京から逃れ、長野の上田を経て、昭和2年(1927年)からの2年間、
鶴田は高崎市本町に居を置いていた。

琵琶教授の看板を出すと、すぐに弟子が入ってきた。寄席や公会堂での演奏は「整理し
ないと2階席が落ちる」ほどの盛況だったという。

しかし稽古の月謝だけでは裕福な暮らしはできず、菊枝は群馬の映画館会社の専属と
なり、各館を奔走した。

決して易しくはない生活だったと察せられるが、それでも鶴田は後年のインタビューで
「私の人生のおもしろいのは、ここまでなんですよ」と答えている。

10代半ばの菊枝が急におしゃれに目覚め、流行の最先端の服装を着こなすようになった
のは、ここ高崎だった。菊枝が自分の人生を「おもしろかった」と思えたのは、この高崎を
離れるまでだった。

この一冊を読み終え、真っ先に向かったのは群馬交響楽団の事務局。
学生時代の小澤征爾が何度となく指揮台に立ち、武満徹ら日本の現代音楽にも取り組む
群響に、鶴田の《ノヴェンバー・ステップス》の演奏記録があるか、確かめたかった。

そして、本人にとってもっとも幸せな時を過ごしたというこの街で、彼女がどんな演奏を
奏でたのか、想像を膨らませてみたかった。

いつもお世話になっている群響事務局のKさんに、楽団史や記録ファイルをあたっていた
だいたが、《ノヴェンバー》自体の演奏記録も結局、この楽団、つまりはこの街にはなかった。


ところで、晩年の80歳過ぎの健康を蝕まれた鶴田の最後の公演は平成5年10月21日の
国立劇場にて。琵琶鑑賞会「鉢の木」だったという。

 


sawari3.jpg◎高崎市歴史民俗資料館
 http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/rekimin/index.htm
 高崎が舞台の「鉢の木」をテーマにした展示『暖の和み』展、開催中(3/11まで)

◎鉢の木七冨久
 http://machi.goo.ne.jp/027-322-6001
 銘菓「鉢の木」で知られる、創業大正6年の老舗。本町大通り西。

 

 

ここのところ音楽の話題ばかり記しているこの「物産日記」だが、タイトルの話に
入る前に、音楽以外の話から入ってみる。

地元の物産のPRでも、もっと広く観光振興でも、「間」と「呼吸」は大切なもので
あることは言うまでもない。

たとえば商品開発を呼びかける、宣伝をかける、物産展に出展する「間」は取り方
一つ次第で効果の大小は全く変わってくる。

そんな「間」のタイミングを読みながら、事業者さんや実際に購入するお客さんと
「呼吸」を合わせることが物産振興に携わる者の忘れてはならないスタンス
である。

この「呼吸」を合わせる、という行動で、いつ見ても見事だな、と関心してしまう人が
いる。

 

ma201201.JPGNHK教育テレビで毎朝6時25分から放送されている『テレビ体操』。この番組で体操
アシスタントとして出演する五日市祐子さんの呼吸がとにかく見事なのだ。

写真は今月1日、元旦の放送のもの。初日の出を撮りたいとデジカメを用意していた
が東の空が曇だったところ、この日のテレビ体操は新年にふさわしい豪華バージョン
だったので、レンズをそちらに向けた。

番組の通常は、前半は体操指導1人とアシスタント3名、後半(月、水、金がラジオ
体操第1、火、木、土は同第2、日曜は双方)はそれにピアノ伴奏とアシスタント2名
が加わるのだが、この日はスタジオにオールキャスト、勢ぞろい。

また体操も今年の干支にちなんだのか、朝にからめたのか「うつくしくたつ」体操
が紹介された。そして指導、ピアノ、アシスタント全員から今年の抱負が述べられ
オールキャストでのラジオ体操第一が始まった。

通常では見たことがない多胡(以下敬称略)を中心に西川、岡本ら指導陣が体操
に加わり、ピアノも名川、加藤が連弾、幅がエレクトーンという重厚な伴奏、そして
アシスタント7名による第一。グランドバレーのカーテンコールを彷彿とさせた。

五日市さんは登場の順番からすると最後、多分いちばん若手なんだろうけれど、
テレビの前で体操に臨む際に、もっとも安心して合わせられるのがこの人。

アシスタントの中にはベテランもいるだろうし、息しなくても大丈夫そうな涼しげな
表情だったり、笑顔を始終絶やさない方もいるが、

五日市さんは呼吸の間がとにかく分かりやすい。いっしょにここで呼吸、というのが
口元から伝わってくる。その誠実な動きに、体操の最後の深呼吸の後まで安心して
早朝の身体を委ねることができる。

同番組は各曜日ごとに再放送され、2ヶ月おきにリニューアルされる。今週は日、
月は五日市さんは登場するが、明後日には2/3月バージョンに変わるので、また
チェックしなければ。

 

ma201202.JPG前置きが長くなったが、先週28日の群馬交響楽団定期演奏会、沼尻竜典氏の指揮
によるマーラーの交響曲第3番で考えた「間」と「呼吸」。

同晩は合唱関係者や県外からのマーラーファンも多く訪れたもようで、会場の群馬
音楽センターは超満員の客席。ステージも大編成の管弦楽に合唱席が加わるほぼ
満杯な状態。

ただでさえ残響が少ない音楽センター、満員の客席の冬服に、ステージからの弱音
が吸収されてゆく。

それでも約100分という演奏時間の長さを感じさせない気迫のこもった演奏。

第1楽章のホルンや第3楽章のトランペットのソロなど、マーラーが描いた天上の音楽
から、予告なく地界へと下降、行き来させられるようなスリルもあったが、アルト独唱と
女声、少年の各合唱が加わった中間楽章はこの晩の白眉だった。

ひとつだけ残念だったのが、客席からの拍手のタイミング。半時間を占める最終楽章
は、最後の数分間をかけて、ゆっくりと頂点へと上り詰めていく。

その息の長さは、口元はこちらから見えなくても指揮者の肩や棒の動き、管楽器奏者
でなくてもその呼吸から伝わってこないはずがない。

でも起こった拍手は最終音の鳴り終える前、沼尻さんの指揮棒も、弦楽器奏者の弓も
高く構えられたままの時。新喜劇のハリセンの如く、拍手とBravoの声を真後ろから
喰らった。

多分、いつもだったらそれでも許せたかもしれない。ひと呼吸してから、いっしょに拍手
に加わっていたかもしれない。

この晩、開演の直前まで、渡辺和彦のプレトークに耳を塞ぎながらも読み入っていた本
が悪かった。「間」と「呼吸」の奇跡に、思いを募らせすぎていた。

ホールからの帰路、私はその本の主人公が演奏するCDをカーステレオで流し続けた。
帰宅後、その本の残りの数10ページを深い感動とともに読み終えた。

偶然にもその本の書評が翌朝の朝日新聞の読書欄に掲載されている。

日課のテレビ体操を流す。

息を整える深呼吸を終えたあと、体操アシスタントがこちらにお辞儀する。ピアノ伴奏が
テンポを落として軽やかなアルペジオを奏でる。番組名と季節の風景が描かれた静止
画面が数秒流れる。そして、軽やかな子供向け番組のテーマ音楽が始まる。

せめてこれくらいの「呼吸」と「間」を、あの晩ホール全体で共有できたらよかった。

 

 

nashinohana-1.jpg言葉の果樹園、書店を見て歩くのは楽しい―――

そんな駅なかの一角に広がるロゴスの楽園空間を虻蜂のようにさまよっていると、
甘やかな匂いに呼び寄せられるかのように、浅緑色の帯が付けられた一冊を
手に取った。

1936年生まれの森内俊雄による最近の短編7作品を収録した『梨の花咲く町で』
(新潮社)。自分と同じ匂いを直感したとおり、巻頭に置かれた「モーツァルト」に、
ページをめくるスピードも自ずと早まる。

69歳の年金生活者を主人公に据えたこの一編は彼の30代、50代に身辺で起きた
出来事がミステリアスに綴られる。ただしそこには回想的な、懐古的な気分は一切
感じられない。「時」を描く新鮮さは、同じ本に収められた他の作品にも共通する。

「モーツァルト」では劇中劇のようにある女性の手記が組み込まれている。手記を
記した彼女が同じモデル事務所に在籍する従姉妹のような友人との間に起きた
事件の顛末。

 

nashinohana- 2.JPGその百合族的な描写が妖艶で印象的だ。欧州の音楽ツアーに参加した彼女らが
北ドイツの山間のホテルの一室で、夏の昼下がりに戯れるシーン。直接な言葉で
描かれてはいなくても、音楽ファンであれば

「互いに(モーツァルトの)ハフナーを奏であった」とあれば、それが流麗なアレグロ
に始まり、エレガントな緩徐楽章をはさみ、敏速なテンポのプレストの勢いで恍惚
の頂点へと登りつめていったことが想像できる。

読了後にこうしてブログ作成画面に向かっていても、頭の中ではあのずんずんと
衝き迫ってくる終楽章の音楽が鳴っていて、キーボードを叩く指も弾む。

他の短編でも音楽の用い方が見事。鎮魂曲、レクイエムを挿入するにしても
静物画の死者を悼む紫の色調を「フォーレの静かなしずかなレクイエムが聞こえて
くる」といったように。

もし同じレクイエムにしても、それがモーツァルトだったら全く色調は異なるし、
ヴェルディだったらとても静かとはいえない。

 

nashinohana- 3.JPGまた、「満開のミモザの花がなだれるさまは、ブルックナーの5番第二楽章の
アダージョである」。同じ5番二楽章でもマーラーだったら暴風雨で花も枝も飛び
散りそう。

音楽ファンとしてこの一冊に想像をふくらませた。でもこの短編集には様々な伏線
が敷かれていて、アンリ・ルソーやリルケ、立原道造、プルトマンやカントなど、絵画や
詩、哲学などの趣味ある方ならまた別の楽しみ方ができるはずだ。

そして他人に深入りしすぎない適度な距離感、登場人物がほんのわずかにまとう
自己顕示傾向に、そういう趣味人は共感を抱くだろう。

また、カルヴァドス、キルシュワッサー、ジン、バイカル、五加皮酒、老酒といったふう
に、随所に登場するアルコールの脇役に、心地よく読後に余韻に浸れるだろう。

 

nashinohana-4.JPG「随処作主」
表題作の主人公が、今は亡き母親の生き方を表した言葉。臨済宗の開祖、臨済義玄
が修行者に対して諭したというこの言葉は、

環境や境遇などに左右されず、どんなところにあっても主体性を保つ、どんな仕事に
就くにせよ、その主人公になった気持ちで勉励すれば、必ず道が開けて正しい成果が
得られるだろう、との意。

まさに随処作主に、仕事にも、それから趣味にも生涯通して向かい合いたいところだ。

 

 

 

nashinohana-5.JPG 冒頭の梨の花は高崎・榛名の果樹園にて2011年4月30日に撮影したものです。
◎山木農園 Albero.アルベロ
 http://www.albero-yamakifarm.com/

 

 

年末に自宅のオーディオが動かなくなった。ここに越してくる前に少々奮発して
購入したものだった。長年の習慣で、過ごしていて何かしら音がしないのは心細い。
郊外の家電量販店で、最も手ごろだったミニコンポを買ってきた。

取りあえずCDだけ聴ければいいので、再生機だけ取り出して、もともとあった
スピーカーにつなげてみる。音は鳴るけど音質が悪い。特にオーケストラの低音が
鳴らない。

マーラーの第三交響曲など、今月の群響定期の前にいろいろ聴き比べてみたいと
思っていたけど、この一昔前のラジカセ並みな音に気持ちも萎える。

案外しっくり響くのが室内楽、特に弦楽四重奏。廉価版で買いためてあったBOX入り
のディスクをあらためて聴き入っている。

そんな最近の鑑賞生活、ベートーヴェンの最晩年の作品、ヘ長調作品135の第3楽章
で、思いがけず胸が高鳴った。

 

shimada201201-1.JPGベートーヴェンは9曲の交響曲のほかに、16曲の弦楽四重奏曲を残している。
作品135はその第16番、56歳で生涯を閉じる数ヶ月前に完成したとされ、まとまった
作品としては最後のもの、全4楽章。

深く長い息吐くような旋律を重ね奏でられる第3楽章は、苦難の生涯の最期を悟った
大作曲家が夕映えに立ち、一時の安堵の表情を浮かべているかのような音楽。

20世紀最高の指揮者として数々の名演を後世に伝えるレナード・バーンスタインが亡く
なる前年、1989年9月にウィーン・フィルを振ったCDがある。カラヤンの追悼演奏会の
ライブ録音、そこで取り上げられているのが作品135の弦楽合奏版。

バーンスタインが奏でる第3楽章、その冒頭はマーラーの第三交響曲の最終楽章を
想い起こさせる。そしてこの旋律は、マーラー最後の交響曲でも反復する。芸術家の
晩年の境地、この演奏会で彼がこの曲を取り上げたのは必然だったのだろう。

 

shimada201201-2.JPG生涯最後の大作に取り組む人がいる。

仏像画家で、石ころ人形製作の島田幸雄さんが自らそう宣言し、キャンバスに向かい
描くのは「高崎の祭り」の風景。

年末から何度も呼び出し電話を受けている。その都度、この街の祭りの写真や資料
などを用意して届けている。

島田さんの自宅兼アトリエには、数百枚に及ぶ仏像画が保管されている。どれも、
若い頃に巡った奈良や京都でのデッサンを元に仕上げた渾身の作。小石に細筆で
描いた作品は数千点、もしかしたら1万点を超すかもしれないほど。

さっそく「高崎阿波踊りと山車巡行」を描いた作品を見せてくれた。お祭り好きな島田
さんらしく、活気に満ちた街なかの光景が表情豊かに描かれている。

昨年、SLの絵をお願いした時も、機関士を自分の顔にしてしまった島田さんだ、祭りの
絵の中に、ハレの日の賑わいにはしゃぐ島田さんを探してみる。

 

shimada201201-3.JPG「仏様がもうそこまでお迎えに来ているのが見える」
80歳の島田さんはそういうが、私には見えないし、見えたとしてもその御姿はまだ遠く
彼方のような気もする。同じ言葉はこの一年で少なくとも3回は聞いてるし。

ただ確かに、ベートーヴェンの作品135の最終楽章も軽快なアレグロで、明るく弾む
ように、純粋に、爽やかに曲を閉じている。

shimada201201-4.JPG

20年近くぶりに富岡の街なかを散策した。

日本の近代化を担った絹産業遺産、その中心となった富岡製糸場には、
その先にあった高校に通っていたころ以来、行っていない。

歴史の教科書にはその活況を伝える写真が掲載されていたが、当時の
そこはガラス窓も一部破損していたり、雑草も茂り、犬の散歩をする人も
後始末を怠るような状況だった。

なので近年、世界遺産登録に向けて隅々まで整備され、赤レンガのひとつ
ひとつまで磨かれ、見物客が大勢訪れ、歓迎看板がそこかしこに掲げら
れた光景は地元紙や地元TVでしか見たことがない。

 

bg2012-91-4.JPGツアー最後に訪れた急行食堂さんはそこから数百メートルのところにある
お店。地元で愛される、とか、昔ながらの、みたいな使い古された言葉は
こういうお店にこそしっくりはまり、違和感がない。

この界隈には高校生でも入りやすい、土日曜の部活帰りなどに格好なお店
がひしめいている。それは先日歩いてみて、変わってないな、と嬉しくなった。

高校生の頃、所属する部によっても食堂のテリトリーがあった。富岡市の
観光サイトを開いたら、当時のいくつかのお店は健在のもよう。庶民派カレー
で有名なT先生の実家の食堂、懐かしい。

富岡は周辺の郡名にある「甘楽」と呼ばれる地域。その名のとおり、南北を
小高い山々に挟まれたこのエリアは群馬の中でも気候がおだやかで、
そこに暮らす人たちの気性にも表れている。

その何となくおっとりなところは通っていた男子校の校風にもあてはまる。
いま暮らしている高崎のように、となりの街の伝統校生を「白ブタ」呼ばわり
したり、逆に「野ザル」と言い返されたり、といったようなことは起こらない。

 

bg2012-91-2.JPGナンパとかするのは稀なグループ。その場も食堂街の近くの指定教科書を
売っている書店だったりする。

そういうことができない者は、自分も含め試験で早く学校が終わった後など、
製糸場近くの女子高周辺を散策だか徘徊したりする。まだブルマとかあった
頃だから、見るだけだけど戦果をあげると皆で狂喜乱舞した。

その塀越しの光景をカメラに収めた者は英雄視された。いまこの歳で同じこと
したら職務質問だけで終わるかは分からない。

あの頃もイベント事に明け暮れる毎日だった。文化祭はその集大成だった。

当時、文化祭実行委員長として頑張ってくれたM君は学年きっての理論派。
何冊ものビジネス書を携えて議論に臨む。職員室との調整役だった私を、
いつもフォローしてくれた。

そんな彼は今、福耳で寝なくても大丈夫そうな方が主の中央官庁の課長補佐。
でも、前の主が男泣きしながら辞めた後、研修で家族でアメリカに渡っている。

年末にクリスマスカードが届いた。早朝の海岸でのジョギングやマルシェでの
買物を楽しんでいるのだそう。日本の海岸にまだ残る瓦礫の山、出荷停止の
農産物のニュース、そっちでもネットで見れるよね?

 

bg2012-91-3.JPGあの頃に比べれば作る企画も現実的になったと自らの成長を勝手に実感する。
イベントの顧問をはじめ、先生方にはだいぶ面倒をかけた。

当時、強面の先生でも名前に「さん」を付けて呼ばれていたのは自分のほか
もうひとり、K君がいた。

高校生なのにヒゲづらで、インド映画で真ん中で躍る人みたいな容姿。お父様
は音楽家なのにアニオタで、そっちには全く興味がなく、祖父母から誕生日に
贈られた図書券は成人向け書籍購入に当ててしまうようなK君だった。

文化祭準備では、自分の企画が生徒のほとんどに反対されたこともあった。
その時、数日前までは仲間だったのに、集会で批判の急先鋒に立った奴もいた。

世の中そういうもんなんだなと思った。帰りの上信電鉄で、車両の連結の扉を
思いっきり蹴飛ばした。電車の中でひとり涙を流したのは、その時くらいだ。

このツアーでお世話になった急行食堂店主の吉田昇さん。想定外のテイクアウト
の注文が30個入ったエビチリコロッケが揚げ終わったころお話させていただい
たら、吉田さんも高校の先輩だった。

それから、このバスツアー「はばたけ群馬!観光博覧会」を主催する群馬県観光
国際協会で、今回の企画をはじめ西部エリアを担当するKさんも、同じく先輩。

こういうつながりに思いがけずめぐり会えること、他に代えがたい幸福でもある。
と、自己満足に陥るのは戒めなければならないし、

この日のツアーのお客さまからのアンケートに製糸場など、観光地も入れるべき、
とのご意見もいただいたが、

あえてそこを入れなかったのは、あの頃の風景の記憶を、あらたに塗り替えて
しまいたくない、という自分の中では少し複雑な思いがそうさせた。(おわり)

 


bg2012-91-1.JPG◎急行食堂
 富岡市富岡1431
 ℡ 0274-62-0569
  http://www.aritaya.com/frame/frame_top.html

 

bg2012-90-1.JPG2013年のNHK大河ドラマでは綾瀬はるかさんを主演に迎えて群馬ゆかりの
新島襄の妻、八重の生涯がつづられる。その八重も群馬に滞在の折には
宿にしたというのが安中のしょうゆ醸造の有田屋さん。

ツアー3ヶ所目に訪ねた同店では、はじめに蔵をリフォームしたギャラリーで
7代目社長の湯浅康毅さんにお話を伺った。

1832年の創業、この道180年の老舗。モダンな雰囲気の内装が施された
ギャラリーには、同店やこの宿場町が歩んできた歴史を偲ばせる品々が所
どころに据えられている。

 

bg2012-90-2.JPG淡々とこの老舗の逸話を語る湯浅さんは始終上品で、紳士的な空気を放つ。
あれっ?、こんな経験、前にもしたことがあった。

2年前の同じ一月に高崎で老舗ツアーを催行した際に訪問したやはり老舗の
蔵、味噌の糀屋の飯嶋さん、倉渕の牧野酒造の牧野さん、双方400年の蔵を
守る当主のお二人からも、同じ印象を受けたものだ。

日本の伝統の味を蔵という空間で目に見えない微生物とともに醸すことを
代々生業にされる方々には、何か共通する雰囲気があるのは確かだ。

 

bg2012-90-3.JPG商店街のスーパーや郊外のドラッグストアの一角で還暦を越えた男女を
いびり続ける毒蝮三太夫師匠と対照的な、といえばイメージしやすいか?
いや、しづらい。聞く側の至福な表情は共通するかもしれないが、

歴史由緒ある老舗を受け継ぐ湯浅さんには全く誇張したところがない。
でも静かな口調で語られる話は含蓄にあふれ、聞いているこちらのほうでは
ふわっと頷きと笑い声が湧いて響く。

もしもバーのカウンターで、そんな湯浅さんに耳元でささやかれたら、今回の
ツアー参加の大半を占めたご婦人方はころっと落ちてしまうだろう。その手元
で転がすブランデーグラスに注がれているのが本醸造しょう油だったとしても。

 

bg2012-90-4.JPGそんな想像は旧街道に面したショップを眺めながら浮かんできた。大量生産の
安価なしょう油が主流を占める中、あえて昔ながらの手間のかかるしょう油
づくりを貫くのが同店。

短くても2年かけて熟成させるという商品。品質が落ちるのでペットボトルでは
売らない。瓶詰めにこだわる。といってもここでの魅せ方が見事。ミニボトル
を間接照明のカウンターに並べたり、洋菓子に使ったり、と見ていて飽きない。

たまたま自宅に、家族の知人から手土産でいただいた有田屋さんの「さいしこみ
しょうゆ」があった。ツアーの翌日に開封した。

2年熟成の丸大豆仕込みの天然醸造しょう油に麹を加え、さらに1年寝かせた商品。
その濃い色に驚くが、一滴口に含んでみると複雑なほどのうまみに歓喜する。
我が家の手抜き料理もこれを一垂した瞬間に馥郁とした高級感を纏う。

 

bg2012-90-5.JPGツアーのこの日、有田屋さんに醸造蔵を見せていただいたが、特に興味深かった
のはそこに棲む微生物の話。発酵を営む彼らは、天窓からわずかに光が射し込む
土蔵の、黒茶色が染み込んだ柱や壁に代々棲み付いている。

そんな彼らはとてもデリケートで、少しでも動かしたり直したりすると、その仕事を続け
なくなってしまうのだそう。日常の食卓で計り知れない恩恵を受ける者として、彼らが
安心して暮らせる世の中を大事にしたいと感じる。あの日からはや十ヶ月。


◎有田屋
 安中市安中2-4-24
 ℡ 027-382-2121
  http://www.aritaya.com/frame/frame_top.html

 

bg2012-5.JPGそもそもこのツアーを企画するきっかけとなったのは1年前、藤岡市役所の
観光担当だったIさんの熱意に触れたことによる。

高崎の南東に接する藤岡は、ハウス栽培によるトマトの生産が盛んな土地。
そんな地元の食材を活かした特産品作りを進めている中で生まれたのが
「キムトマうどん」だ。

地元産トマトとキムチ漬けのソースに焼きうどんをからめて、スクランブル
エッグ、万能ネギとかつお節を乗せた彩り鮮やかな一皿。

このツアーの商品発表の直後、日本テレビの「秘密のケンミンSHOW」で紹介
され、その直後から提供店には県外からも来客が殺到する程の人気となった。

その人気は単に話題から、というだけではない。これが美味しい!今回伺った
のは、このキムトマうどんをPRする上州藤岡麺倶楽部(むぎっつらくらぶ)の
会長、根岸幹彦さんが営む根岸物産。製麺所に直売所、食事処を併設する。

 

bg2012-6.JPGその佇まいは小洒落たうどん店であるが、お店に到着すると辺りにはトマトと
キムチを炒める食欲をそそる香りが漂い、パエリア鍋を返す小気味良い音が
響いてきた。

一同着席と同時に運ばれてきたお待ちかねのキムトマうどんは立ち上る湯気に
かつお節が踊っている。「お行儀良く食べないでください」という根岸社長
さんのアドバイスに、皆我を忘れて箸を走らせる。

バランスよくソースと馴染んだうどんは食感も見事で、口の中に広がるトマトの
甘味のあとからじんわりと辛さが舌の上、そして鼻腔へと爽やかに伝わってくる。

濃黄色がまぶしいスクランブルエッグと和えて食べてみると、またうっとりする
ほどまろやかな味わいを見せる。ツアーお客さんもみんな、はふはふしながら、
無言だけど笑顔になっている。まさに幸せな一皿だった。

 

bg2012-7.JPGおそらく群馬の新星B級グルメでは飛龍のごとくもっとも勢いがあるだろうキムトマ
うどんだが、数年前の藤岡でのトマトを使った特産品づくりの現場では、いろんな
案があったそうだ。前述のIさんから以前に聞いた。

でも、無難な、どこでもありそうなものが予定調和の会議なら決定する流れだった
ようだが、そんな煮え切らない議論にアッパーカットを喰らわせたのがIさんだった。
そしてこの日、私たち大型バスの一行はこうして幸福な時間を過ごすことができた。

Iさんは昨年の春の人事異動で今は観光部署にはいない。でも先輩の意志を受け継ぐ
Nさん、そしてバイタリティ溢れる上司のIさんが群馬・藤岡を賑わせたいと、まだ
まだ多数のカードを用意している。来年明けのツアー案も、この日二人と1本固めた。

 

bg2012-8.JPGところでこの根岸物産さんのうどんは、藤岡育ちの私にとってはソウルフード的存在。
いまこうして高崎で暮していても、食料品の買物は根岸さんのうどんがあるかないか
がスーパー選びの基準となる。

お気に入りの「生うどん細切り」は他社商品にくらべると割高。だけどその値段は
味とコシには代えられない。わずかな日にちの違いで「おつとめ品」のシールが
貼られたものを狙い買いして、常時冷凍庫に3袋ストックしている。

この日、根岸さんのお店にあった商品のこだわりなどを記したチラシに、良質な小麦と
塩、水だけを使い、伝承の技で打った「味のあるうどん」は茹で汁をそば湯のように
つゆに入れて飲む楽しみ方もできるとあった。

翌日。常備品のうどんでの昼食のおしまいに、チラシにあったように試してみる。
その滋味あふれる味わいに、思わずうなった。幼い頃から鍋の火を落としたあとは流し
ていたあの茹で汁、それにしても、もったいないことをしてきたものだ。

 

bg2012-9.JPG◎根岸物産
 藤岡市藤岡879
 ℡ 0274-22-0134
  http://www.wind.ne.jp/ajino-udon/

 

bg2012-1.JPGもしかしたら、ツアー企画者にとっても「運だめし」だったのかもしれない。
今年も幸先良いスタートを切れたな、と実感できた、そんな一日だった。

先週の金曜日、13日に群馬県観光国際協会と実施した日帰りバスツアー
「新年口福運だめし コレ来る!群馬のB級グルメ」。

高崎、藤岡、安中、富岡の西上州の4つの街を、「B級グルメ」をテーマに
めぐるツアーは、企画当初はまだ知られていない、これから流行りそうな、
または流行らせたいという品々をピックアップしたもの。

そんなブーム先取りをできるという触れ込みで売り出したところ、一ヶ月前
には満員、前日までキャンセル待ち状態が続いていた。なのでツアーに参加
できた方もラッキーだったし、主催者側の企画の成否も占えるものだった。

 

bg2012-2.JPGこの日はまだ1月も松の内ということもあり、ツアー始めに訪れたのは高崎の
観音さま、慈眼院白衣大観音像の登り口にある「観音茶屋」さん。

1936年にこの観音像が建立されて、この地にも名物をという先代の社長に
より考案されたのが「観音最中」。すでに半世紀以上続くロングセラー商品だ。

また、一昨年春に発売された「観音ソフトラスク」はその名のとおりラスクの
イメージを覆す食感。同店女将の中川一美さんは「日本一のやわらかさ」と
胸を張る。

一行が到着すると、お店では中川さんご夫妻と最中とラスクの試食セット、
冬の朝には嬉しい淹れたての緑茶が迎えてくれた。

雲ひとつない晴天、南側の窓からやわらかな日差しが射しこむ。まずは
ほっこりひと休みかと思いきや、店内に2箇所あるレジのあたりからお客さん
の賑やかな声が聞こえてくる。

 

bg2012-3.JPGそして、商品によっては品切れになるほどの勢いで売れてゆく。その間約15分。
一連のツアーで、両手いっぱいに買物袋を持ったお客さんを見るのは、何だか
久しぶりのような気がした。ただしそれは、まだ序章に過ぎなかったのだが。

店内の騒ぎがうそのように、外に目を向けてみると参道を数組の参拝者が登っ
てくる。冬枯れの木々のなかで、さり気なく手入れされた南天の枝に真っ赤な実
が色づいている。

それにしても穏やかな朝だった。心なしか観音さまがいっそう慈悲深い表情を
浮かべているように見える。

買物を済ませたお客さんがお店の前で観音さまを見上げている。これから始まる
ツアーの無事を祈って、自分もいっしょに手を合わせた。


bg2012-4.JPG◎観音茶屋
 高崎市石原町2709
 ℡ 027-323-7700

tougoku2012-6.JPG「以前にお話したことありましたよね、烏子のお稲荷様のこと・・・」
やはり直感したとおりだった。

上小鳥町の食事処・小塙さん。一昨年の夏、パワースポットブームで何かと
榛名神社が話題にのぼる頃のこと、

昼食に立ち寄ると、お店の近所にもすごいパワースポットがあるという。
烏子稲荷。さきほど自分が古墳めぐりで立ち寄ったその小山の上に建つ神社
のことだった。

その年、店主の根岸さんのお孫さんは、都内の有名国立大学に合格した。
お稲荷様への宿願が叶ったのだと目を細める根岸さんの表情が記憶に残る。

 

tougoku2012-7.JPGそれだけではない。小塙さんが当協会に入会したのは3年程前。同店の人気
メニューであるもつ煮や豚の角煮を、お客さんの要望でテイクアウト用に商品化。
販路を開拓したい、というのが入会の理由だった。

その後の勢いはこのブログでも記したとおり。参加した商談会では持ち込んだ
商品が都内老舗百貨店の名物バイヤーの目にとまり、瞬く間に銀座のデパ地下
への催事出店を果たした。

また、この百貨店のお歳暮、お中元の贈答カタログにはすでに定番商品として
常時スペースを得ている。さらにその後、独自の営業努力が実り、首都圏の有名
百貨店への催事出店が続く。

その時も、お稲荷様への願掛けは欠かさなかったという。そんな、学問成就にも、
商売繁盛にも、ご利益談が聞こえてくるのがこの烏子稲荷神社なのだ。
何のお導きか、年明けの七草の朝、自分もそのお稲荷様を訪れていた。


tougoku2012-8.JPGところで、この烏子稲荷の社殿が佇むのは上小塙稲荷山古墳の頂上。この古墳の
主が眠っていた石室の入口は、この地に大きな災害をもたらした榛名山の方角
を向いていることは前回記した。

その榛名山には、雨乞いの神社、また修経者の霊場として1400年以上前に建て
られた榛名神社がある。数年前からのパワースポット人気は衰えず、全国から
参拝者が訪れる。

その後、平安時代に創建された烏子稲荷は、戦国時代には武田信玄が箕輪城
攻略の際に戦勝祈願を行い、その願いは叶えられたと伝えられる。

そして平成のいま。榛名神社はブームに沸き、一方で烏子稲荷には静かな祈りを
胸に訪れる参拝者がまたそっと願いを叶えていく。

この2つの点を結んでみると、その線上には、時空を越えて行き来する何か底知れ
ないものが宿っているような気がしてならない。そんな想像に胸ときめかせ、眠れぬ
夜を過ごせただけでも、確かにそこはパワースポットである。

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