先日、群馬交響楽団の2012年度定期演奏会プログラムが発表された。
沼尻竜典体制になって3期目のシーズン、作曲家の三善晃特集(5月、10月、11月、
月)や引き続きショスタコーヴィチ(4番、5月)、マーラー(5番、1月)の交響曲を取り上げ
るなど、いよいよ沼尻カラー全開、といった印象を受ける。
また、ヴィオラの今井信子(バルトーク、6月)、ピアノの児玉姉妹(プーランク、10月)、
横山幸雄(ラフマニノフ2番、3月)、ヴァイオリンの前橋汀子(ブラームス、11月)、
ハープの吉野直子(グリエール、2月)と、客演する独奏陣がここ数年になく華やかだ。
過去10数年、首席客演指揮者としてほぼ毎年来日していたチェコの名匠、マルティン・
トゥルノフスキーの名前は残念ながらない。2011シーズンを含め2年空くのは初めて。
また同氏の軽やかな指揮姿を目にできることを祈りたい。
そんな中、何より胸躍らされたのが、ホルンのラデク・バボラークの客演。6月定期では
R.シュトラウスの名作、協奏曲第一番がプログラムにのる。
30代半ばのバボラークは一昨年までベルリン・フィルの首席だったホルン界のスーパー
スター。百年に一人の逸材とも言われるほど。小澤征爾のサイトウ・キネンや水戸室内
管弦楽団でもたびたび共演しており、日本にもファンも多い。
そんなバボラークの演奏に私が初めて接したのは1996年2月のプラハでの演奏会。
指揮はトゥルノフスキーだった。
1994年初夏にトゥルノフスキーが初めて群響に客演した際に、習いたてだったチェコ語
でファンレターを送ると、間を置かずに返信をいただいた。その後も文通は続き、毎回、
その多くは旅先からで自らが演奏したカセットテープやCDが同封されていたこともあった。
その一年半後、2ヶ月かけて中欧をひとり旅した。出発前に彼にその予定を伝えると、
ちょうどその期間ならプラハで指揮をする、という。
今のようにネットでコンサート情報が得られる時代ではない。どんな曲目かも知らされず
に、出国前にとりあえず日本茶の手土産を用意して、手紙にあった演奏日に合わせて
プラハへと向かった。
チェコ(スロヴァキア)で長く続いた社会主義体制が1989年のビロード革命で崩壊、亡命
先のオーストリアから約四半世紀ぶりに帰国を果たしたトゥルノフスキーは、プラハ交響
楽団音楽監督、のちに首席指揮者のポストを得る。伺ったのはその頃のこと。
チェコ・フィル、プラハ響、プラハ放送響といった古参のオーケストラに加えて、当時プラハ
ではまさに雨後の筍のごとく新興楽団の創立ラッシュだった。
この時、トゥルノフスキーが指揮したのは若手演奏家で結成されたばかりの「プラハ
室内フィルハーモニー」、現在の「プラハ・フィルハーモニック」。一昨年の「プラハの春
音楽祭」ではオープニング恒例の『わが祖国』を演奏するまでに成長した楽団である。
演奏会前日、会場のプラハ旧市街の聖シモン・ユダ教会では本番メンバーによる練習が
行われていた。モルダウ川からもほど近い、18世紀にルネサンス様式に改築された教会。
扉のところで拙いチェコ語で事情を伝えると、すぐにトゥルノフスキーに取り次いでくれた。
案内されて客席に着くと、会場には演奏者以外は私を含めて数人の関係者のみ。練習が
再開される。指揮者と若い楽員の談笑がふわっと響いてくる。和やかな練習風景だった。
石造りで高い天井から生まれる音響効果は、バボラークの独奏がはじまるとその見事さ
をいっそう感じさせた。
プログラムの中の一曲はベンジャミン・ブリテンの『セレナード』。弦楽合奏にテノール独唱、
ホルン独奏を加えた30分あまりの室内楽的な作品。8つの短い曲からなり、中の6つの曲は
ウィリアム・ブレイクやジョン・キーツら英国詩人による死の陰翳をまとった歌詞に基づく。
第1曲の《プロローグ》と終曲の《エピローグ》はホルンのみで奏でられる。この作品の練習
は、終曲から開始された。
この終曲ではホルンは遠くから響かせるという作曲者による指定がある。客席の後ろの、
礼拝堂の階上から、柔らかで透明感に満ちたバボラークのホルンの音色がこだまする。
厳寒のプラハの教会の礼拝堂に、たそがれ落日の田園の牧歌的な光景が広がった。
バボラークのホルンは、当然のことながら曲ごとに豊かな表情を見せる。4曲目の《賛歌》は
まさに彼の面目躍如といったところ。速いパッセージやめまぐるしく下降、上昇する音階を
余裕綽々と吹きこなすテクニックに舌を巻く。それでいて嫌味がない。
一方でトゥルノフスキーの指揮は、重力に素直に従いスピードと径を変えながら円を描くよう
に、抑制を効かせながら旋律を紡ぎ出す。音楽は決して誇張なく、終始自然な流れが保た
れる。そんな彼のスタイルは、このブリテンの作品にはこの上なく合う。
その時の舞台の全員がカジュアルルックの(トゥルノフスキーは色鮮やかなニットだった)
練習風景から、次の晩の開演前の期待に満ちた満員の礼拝堂の様子、『セレナード』
終演後のなかなか拍手が起こらない客席の長い静寂へと、
私の記憶は中途半端に編集されたVTRのように、断片的になっている。そして終演後の
控室の光景が、その容量の大きな部分を占めている。
演奏に満足だったげで、トゥルノフスキーは温かく迎えてくれた。それまでに送った手紙
は周囲にも見せていたようで、「あの日本のマニア」とスタッフにも紹介してくれた。
バボラークは当時からチェコ・フィルの首席奏者だったが、まだプラハ音楽院の学生。
同僚らに囲まれて歓談していた。その奥には指揮者のイルジー・ビエロフラーヴェクの
姿もあった。
ビエロフラーヴェクと握手したのはその時が2回目。1992年のチェコ・フィル高崎公演の
時以来。やはり大きくて厚い掌だった。92年当時、チェコ・フィルもまさに激動期だった。
同フィル音楽監督だった彼は、音楽界にも訪れた民主化後の波を受け、翌年には解任
に近い形で自らその職を辞している。プラハ・フィルはその後に彼が設立した団体だった。
そんな彼も、2012年シーズンから20年ぶりにチェコ・フィル首席指揮者に復帰するという。
6月にバボラークが高崎に来た折には、群響事務局のKさんにお願いして、楽屋を訪問して
みたい。十幾年前の演奏会の鮮明に残る印象を、伝えたい。手土産には、吉田だるまさん
にお願いして、それまでに「オーケストラだるま」のホルンバージョンを作ってもらおう。
久しぶりに、バボラークのディスクでブリテンの『セレナード』を聴く。伴奏者は違えども、あの
時のあの教会での演奏が頭の中によみがえってくる。またあの晩のような音楽に浸ってみ
たい。そんな追体験を叶えてくれるホールへの思いを、この街であらためて募らせる。
◎吉田だるま
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◎群馬交響楽団
http://gunkyo.com/concert/teiki