2012年2月アーカイブ

ここ2週間ばかり、朝食のたびに出るくしゃみが何とも心地よい。癖になっている。

といっても、この季節ならではの花粉症とは無縁な私である。その悩ましい快楽を
催させてくれるのが、七味唐辛子。先日、ときどき新規入会希望の事業者さんを
紹介してくださるYさんからいただいた。

パッケージは市販のジップロック袋にパソコンで手づくりしたラベルを貼っただけの
もの。Yさんらが活動している高崎市西部の「下小鳥七味友の会」さんが栽培した
トウガラシをベースに、多分友の会のメンバーの好みで調合したもの。

無限のブレンドパターンがある七味だけど、これが思いのほか自分の好みにピッタリ
はまってしまって、ジャムの空き瓶に移し替えた魅惑の粉末はもう半分くらいまで減っ
ている。

冷奴にも、漬物にも、うどんやそばにも、鍋料理にも焼そばにも、下小鳥の七味は
ひと振りだけで食卓に華やかな雰囲気を演出する。

子供でも食べられるように甘口のルゥで作るカレーだと、これまでは辛味のトッピング
にグランマサラやレッドチリペッパーを使っていたところ、試しに下小鳥の七味をかけ
てみたらこれもうまい。推測するに、カレーうどんにも絶対合うはずだ。

 

7tougarashi-1.JPG何より香りが見事。特に汁物に使うと、わざわざ嗅いでみなくても、ふわっと伝わって
くる刺激香から香辛料の鮮度の高さが伺える。サンショウ特有のクセをトウガラシが
カバーし、同じ方向で照準を定めながら、

舌上、口中、鼻腔、喉元を心地よく衝いてくる。時々、私もいるのよ、と奥歯に噛みつぶ
されるアサの実に、束の間の安堵を覚える。

朝一番のくしゃみはその途中で引き起こされる。そして、その椀が空く頃には、体じゅう
がぽかぽかと熱くなっている。

この下小鳥の七味は、今のところ店舗販売はしていない。友の会のメンバーの友人、
知人らに一袋400円でひっそりと売買されている、白い粉ならぬ赤い粉である。

七味唐辛子について、少しだけ調べてみた。

食文化研究家で東京農業大学名誉教授の小泉武夫先生のによると、トウガラシの日本
伝来には2説あり、文禄の役(1592年)に加藤清正が朝鮮から持ち帰ったという説と、
天文年間(1532~55年)にポルトガル人が持ち込んだ、という説があるとのこと。

そして、有名な神田明神聖堂では宝暦年間(1751~64年)には「七色とうがらし」として
売られ、繁盛していたそう。

小泉先生はこの七味唐辛子を「わが国の食卓に古くから伝わる唯一の混合香辛料」と
言い切る。そして、それは「いつまでも日本の味ににらみをきかせる存在」とも。

ところで花粉症、特にこれからの時期のスギ花粉による症状は、日本独特のものと言わ
れる。そんな症状に、残念ながら見舞われることのない私は、この七味のくしゃみで国民
としてのアイデンティティを日々呼び覚まされている。

 

7tougarashi-2.JPG

 

hina2012-1.JPG週末、新町で行われているひなまつりに出かけた。

主会場の旧中山道新町宿、明治天皇行在所公園は、晩からの冷たい雨で庭に
敷かれた玉石がしっとりと湿っている。時おり松の葉から雫が落ちる。

期間中、会場は県内外からの見学者でにぎわうと聞いていたが、こんな陽気の
せいか、まだ朝早かったせいか、他に人はなく、歴史を偲ばせる瓦葺の木造建物
のなかに所狭しと飾られた人形たちを独り占めしているかのような気分に浸れた。

この「新町ひなまつり」は町おこしの活動を行う地元の有志により2007年から始め
られた行事。この行在所をメインに、周辺の商店等60ヵ所に人形が飾られ、買物
しながらの散策も楽しめる。

飾られているひな人形は約100基。江戸末期から明治初期に作られた貴重な人形
もある。

現在、全国の各地でこのようなひな人形を集めた催しが行われている。その多くは
ひな人形が一般家庭で飾られなくなった、またはいろんな理由で飾れなくなったこと
による。

この新町の会場でも、人形の製造年代とあわせて、寄贈者の名前の札も置かれて
いる。

冬の終わりの宿場跡の庭園をぼんやり見つめるひな人形たちも、往年ははしゃぎ
まわる子どもたちの歓声や、親戚の集まる御祝い料理のにおいに包まれていたの
だろう。そんな時を越えた家々の光景に思いを馳せる。

 

hina2012-2.JPG行在所から旧中山道をはさみ、ほぼはす向かいにガトーフェスタハラダさんの本店が
ある。埼玉県境のギリシア建築を思わせるような壮麗な建物のほうは「本社」、まぎら
わしいからなのか、最近ではこのこじんまりと佇む「本店」を「中山道店」と呼んでいる。

ラスクの概念を変えた、ともいわれるハラダさん、百貨店も都心のみならず大阪、博多
にもテナント出展するなど、その勢いは増すばかり。

特に秋から春にかけてのシーズンは、通常の「ガトーラスク」に加えホワイトチョコレート
の「ホワイトラスク」と厳選されたチョコレートに金粉をそえた「プレミアム」が人気だが、

本社や百貨店には並ばない、もう一つのテイストのラスクがこの中山道店のみで
ひっそりと販売されている。それが「ココアラスク」(12枚入り420円)だ。

ハラダさんはこの中山道新町宿沿いに100年以上続く老舗。現在のラスクを中心と
した洋菓子店の前はパン、その以前は和菓子の専門店だった。

 

hina2012-3.JPGあの人気のラスクが生れたのも実はほぼ10年前のこと。その経緯については、以前に
このブログでも記したので省略するとして、このココアラスクが上記3商品と大きく異なる
のは、フランスパンではなく食パンを使っている点。

そしてその味を、どう表現するかといえば、多くの人が、十年以上前に、「ガトーラスク」を
初めて食べる前に知っていた「ラスク」をイメージしてもらえば分かりやすいだろう。

ガトーラスクの評判に加え、ここ数年の工場見学ブームもあり、ガラス張りの専用見学
通路やプレゼンテーションルーム、できたて商品の全国発送にも対応するショップを備
えた「本社」には、連日県外からの大型観光バスがひっきりなしに訪れる。

観光や修学旅行のみならず、企業関係者の視察も多いと聞く。小さなベーカリーから
十数年で急成長を遂げた成功事例に学ぶ、という趣旨であれば、私は街道沿いの
中山道店への立ち寄りをすすめる。そして、ココアラスクもあわせて購入いただきたい。

同じもの作りに励む人なら、何となく、自分にも成功のチャンスはあるかもしれない。
かみしめるほどに、そんな希望が湧いてくるような味わいのラスクである。

 


hina2012-4.JPG◎ガトーフェスタ・ハラダ
 http://www.gateaufesta-harada.com/

ちょうど1年前のこのブログで、この時期になると聴きたくなる音楽としてシューベルトの
『ヴァイオリンとピアノのための幻想曲』(D.934)を挙げていた。

そしてこの小曲のことを

 「深い森に囲まれた湖の、水面に立つさざなみのようで、やがて妖精たちの戯れの
  ようなヴァイオリンが陽気にその上をとびはねる。」

と、その優しく繊細な雰囲気を記している。

昨日から高崎は最高気温が10℃を超え、北風にも浅春の匂いが交じる。例年なら同じ
ディスクを取り出していたのだろうけれど、

この2月に毎朝晩流しているのは「妖精」ではなく「小悪魔」な作品、ベートーヴェンの
『ヴァイオリン・ソナタ第九番《クロイツェル》』である。

ベートーヴェン中期の代表作。経緯については曲折あったと伝えられるが、フランスの
ヴァイオリニスト、ロドルフ・クロイツェルに献呈されたことからその名が付けられる。

急・緩・急の3つの楽章から成り、雄渾な曲想の第1楽章が特に有名。アダージョで始まる
冒頭は小悪魔が口許に笑みをにじませながら近づいてくるかようで、

またその後のプレストから展開する目まぐるしい転調、時おりアクセントとなるピツィカート
からは女王様的な本性さえ見え隠れする。ヴァイオリニストの右手は弓から革製の鞭へと
持ち替えられる。息風に揺れるろうそくの向うから悦楽の喚声が聞こえてくる。

 

kreutzer-1.JPGロシアの文豪、トルストイの小説『クロイツェル・ソナタ』はこのベートーヴェンのソナタから
着想を得ている。

   ・・・「二人はベエトーヴェンのクロイツェル・ソナタを弾いたのです・・・
      あなたは最初のプレストをご存知でか?ご存知ですって?!ううッ・・・
      あのソナタは実に恐ろしい曲です!・・・」  (米川正夫訳、岩波文庫)

この小説の主人公、ポズドヌイシェフの言葉から。

嫉妬のために不貞の妻を殺した不幸な男である彼の告白を筋としたこの作品の中で、
トルストイは当時の社会の男女関係、結婚問題、性欲問題をえぐり出し、そして痛烈に
批判している。

ところでNHKテレビの『N響アワー』で、前回チェコ・モラヴィアの作曲家、ヤナーチェクの
作品を放送していたが、その番組宣伝の文句は大いに不満なものだった。

この晩のプログラムは村上春樹の『1Q84』で一躍有名になった《シンフォニエッタ》。
これが「ヤナーチェクの最高傑作」などと紹介されている。

番組がオセロが司会してた朝の情報バラエティとか王様のなんとかとかなら構わないが、
作曲家の良識ある理解と普及を促進する日本ヤナーチェク協会からNHKに対して異議
申立てなどなかったのかと考えたくもなる。

《シンフォニエッタ》は体育協会のために書かれた祝典用の作品。ブラスバンドで屋外でも
演奏できそうなくらいの、演奏規模は大きいけど決して深みあるとは言えない管弦楽曲。

病的なまでに言葉に固執し、その対象は人間だけでなく、森の動物や虫たち、さらには
雷鳴や風雨といった自然現象にまで及ぶヤナーチェクの音楽にあって、その真髄には、
独特のイディオムで書かれたオペラ、または弦楽四重奏の中でこそ触れることができる。

そんな彼の弦楽四重奏の第一番のタイトルは《クロイツェル・ソナタ》。ロシア文学を題材
にしたオペラも数作品書いている彼が、トルストイの同名の小説の主人公の道ならぬ恋、
妻殺しという筋立てに我慢できなくなり作曲したという晩年の作品。

ヤナーチェクは小説から受けたショックとトルストイに対する批判をこの弦楽四重奏曲に
余すところなくぶちまける。そして、トルストイが否定した恋の貴さを終楽章で高らかに
謳歌する。

小説で描かれた短絡的な禁欲主義、結婚や性道徳に全く同意できない憤りを、彼は38歳
年下の恋人であるカミラにも手紙で書き綴っている。

カミラは親子ほども年が離れた子連れの人妻。その彼女への満たされることのない想い
が晩年の数々の傑作と600通もの手紙を書かせたという。世の人の同情をより集めるのは
作曲家か、それとも小説家か。

 

kreutzer-2.JPGクロイツェルの寒風にさらされささくれ立った指先を、しっとり潤してくれる句を見つけた。

          クロイツェル・ソナタ折り鶴凍る夜

俳人、浦川聡子さんの同名の処女句集から(ふらんす堂 1995年)。ちょうど今頃の季節に
詠まれた句に違いない。

小説に俳句、音楽、とクロイツェルから喚起された作品は容易に見つけられる。ならば漂う
甘い匂いで人を惹き付け、小悪魔的な心地よい刺激を舌上で楽しませてくれ、喉元を過ぎる
と今度は体の芯から抑えられないほどの感情を誘引する、

そんなトルストイの冒頭で引用される聖書マタイ伝5章28節の言葉を肯定してくれるような
魅惑のスイーツなどないものか?馴染みの洋菓子店にも、そういうオーダーは、さすがに
しづらい。

kreutzer-3.JPG

先日(2/18)の第479回群馬交響楽団定期演奏会は、創立から六十数年を経た
2012年2月現在のこのオーケストラの性能美が現代、古典、後期ロマン派といった
複数の地点に時間軸を移しながら示されていくような一夜だった。

そして群馬音楽センターの客席を埋めた時の証人たちは、先ほどまで舞台上で
目くるめく繰り広げられた音の物語に、惜しみない拍手を送った。

今シーズンから群響の友情客演指揮者に就任した広上淳一による指揮で、開口
は尾高惇忠の《オーケストラのための肖像》。

不安に満ちたトランペットによるファンファーレで導かれる空気がその後もこの曲の
全編を支配する。それは、あたかも現代社会、または現代人の心理内部をえぐり
出すかのように描かれた《肖像》である。

演奏会前半2曲目はグッと200年の時代をさかのぼりハイドンの交響曲第102番。
前音楽監督の高関健は群響でも頻繁にハイドンを取り上げていたが、

よく彼がハイドンの交響曲を指して「オーケストラ音楽の基礎」と口にしていたこと
の意味は、この晩の演奏会で確かな実感を伴って理解できた。そんな思わぬ収穫
に歓喜した。

いつもながら広上は指揮台の上で泳ぐような踊るような身振りで音楽を導き出す。
この人がほんとに海やプールで泳げるのか、レディをエスコートしながらダンスでき
るのかは知らない。なので演奏中は極力目をつむる。

今どきジュニアオーケストラでも普通にプログラムにのせるハイドンの交響曲も、
作曲当時は革新的な作品。この102番も独奏チェロのオブリガードやティンパニの
弱音ソロ、トランペットのミュート指定といった彼の実験精神を伺わせるもの。

棒なしでしなやかにオーケストラをドライブする広上の指揮姿とは対照的に、奏で
られる音楽は緊張感に満ちていた。何よりこの102番は、後半の管弦楽の大曲の
縮図でもあることを予感させた。

 

senichiya-1.JPGこの晩のメインとなるリムスキー=コルサコフの交響組曲《シェエラザード》はその
見事なオーケストレーションで知られる名曲。私も中学生の頃に先輩の勧めで
その魅力に触れた懐かしい思い出がある。

1960年代のアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団による演奏がその原体験だが、
これは録音技術にも相当助けられたといわれる。天空をつんざくようなトロンボーン
の強奏やこれでもかという位に叩いてくる打楽器群に圧倒される名録音だ。

対する広上/群響の《シェエラザード》は、この曲の魅力を別の角度から印象付ける
演奏だった。楽員が熱演するステージに透けて見える程のうすい布地が被せられた
かのように、

代わる代わる登場する独奏は決して突出することなく、またオーケストラもppからff
まで拡散することなく、ひとつにまとまった音の塊は大小変化しながら客席に響く。
それでいながらこの曲が持つ豊かな色彩感が失われることなく見えてくる。

音楽による絵巻物のようなこの管弦楽作品には、むしろ広上のスタイルの方が合っ
ているのではないかとさえ思う。

このオーケストラから、それもあの群馬音楽センターでこんな幻想的な演奏に浸れる
とは正直なところ期待していなかった。群響ファンとして記念碑的な一夜となった、
そんな演奏会だった。

 

senichiya-2.JPGこの《シェエラザード》というタイトルは、アラビア語文学の中でも世界中でもっとも親し
まれている物語、『アラビアン・ナイト』(千一夜物語)のヒロインの名前をとる。

稀有の名君として国民の信望を一身に集めていた王シャリアールは愛妃の不貞から
女性不信となり、毎晩生娘を迎えては翌朝必ず首をはねるという残虐な暴君に一変
する。

そこに大臣の娘であるシェエラザードが参内し、才色兼備な彼女が毎晩語る物語に
王は次第に惹き込まれ、彼女を殺すことができずにその語りは千一夜に及ぶ。

そしてついには彼女を愛し、正妃に迎え、以前にもまさる名君として国を統治するよう
になった、というのがこの巨大長編物語の冒頭。

ところで今ご覧いただいているこのブログ『物産日記』も2009年4月の開設以来、今月
で一千一夜を越えた。書き手を才色兼備のシェエラザードに見立てるわけではないし、
説き伏せるべき傍若無人な暴君も周りを見渡しても見つからないが、

では、読まれるのかどうかも分からない文章を誰に向かって、こうして取りとめもなく記し
続けているのだろうか?と自問している自分に気付き、、ひとりPC画面を前ににんまり
してみた。

先日、群馬交響楽団の2012年度定期演奏会プログラムが発表された。

沼尻竜典体制になって3期目のシーズン、作曲家の三善晃特集(5月、10月、11月、
月)や引き続きショスタコーヴィチ(4番、5月)、マーラー(5番、1月)の交響曲を取り上げ
るなど、いよいよ沼尻カラー全開、といった印象を受ける。

また、ヴィオラの今井信子(バルトーク、6月)、ピアノの児玉姉妹(プーランク、10月)、
横山幸雄(ラフマニノフ2番、3月)、ヴァイオリンの前橋汀子(ブラームス、11月)、
ハープの吉野直子(グリエール、2月)と、客演する独奏陣がここ数年になく華やかだ。

過去10数年、首席客演指揮者としてほぼ毎年来日していたチェコの名匠、マルティン・
トゥルノフスキーの名前は残念ながらない。2011シーズンを含め2年空くのは初めて。
また同氏の軽やかな指揮姿を目にできることを祈りたい。

そんな中、何より胸躍らされたのが、ホルンのラデク・バボラークの客演。6月定期では
R.シュトラウスの名作、協奏曲第一番がプログラムにのる。

30代半ばのバボラークは一昨年までベルリン・フィルの首席だったホルン界のスーパー
スター。百年に一人の逸材とも言われるほど。小澤征爾のサイトウ・キネンや水戸室内
管弦楽団でもたびたび共演しており、日本にもファンも多い。

そんなバボラークの演奏に私が初めて接したのは1996年2月のプラハでの演奏会。
指揮はトゥルノフスキーだった。

 

baborak-1.JPG1994年初夏にトゥルノフスキーが初めて群響に客演した際に、習いたてだったチェコ語
でファンレターを送ると、間を置かずに返信をいただいた。その後も文通は続き、毎回、
その多くは旅先からで自らが演奏したカセットテープやCDが同封されていたこともあった。

その一年半後、2ヶ月かけて中欧をひとり旅した。出発前に彼にその予定を伝えると、
ちょうどその期間ならプラハで指揮をする、という。

今のようにネットでコンサート情報が得られる時代ではない。どんな曲目かも知らされず
に、出国前にとりあえず日本茶の手土産を用意して、手紙にあった演奏日に合わせて
プラハへと向かった。

チェコ(スロヴァキア)で長く続いた社会主義体制が1989年のビロード革命で崩壊、亡命
先のオーストリアから約四半世紀ぶりに帰国を果たしたトゥルノフスキーは、プラハ交響
楽団音楽監督、のちに首席指揮者のポストを得る。伺ったのはその頃のこと。

チェコ・フィル、プラハ響、プラハ放送響といった古参のオーケストラに加えて、当時プラハ
ではまさに雨後の筍のごとく新興楽団の創立ラッシュだった。

この時、トゥルノフスキーが指揮したのは若手演奏家で結成されたばかりの「プラハ
室内フィルハーモニー」、現在の「プラハ・フィルハーモニック」。一昨年の「プラハの春
音楽祭」ではオープニング恒例の『わが祖国』を演奏するまでに成長した楽団である。

 

baborak-2.JPG演奏会前日、会場のプラハ旧市街の聖シモン・ユダ教会では本番メンバーによる練習が
行われていた。モルダウ川からもほど近い、18世紀にルネサンス様式に改築された教会。
扉のところで拙いチェコ語で事情を伝えると、すぐにトゥルノフスキーに取り次いでくれた。

案内されて客席に着くと、会場には演奏者以外は私を含めて数人の関係者のみ。練習が
再開される。指揮者と若い楽員の談笑がふわっと響いてくる。和やかな練習風景だった。

石造りで高い天井から生まれる音響効果は、バボラークの独奏がはじまるとその見事さ
をいっそう感じさせた。

プログラムの中の一曲はベンジャミン・ブリテンの『セレナード』。弦楽合奏にテノール独唱、
ホルン独奏を加えた30分あまりの室内楽的な作品。8つの短い曲からなり、中の6つの曲は
ウィリアム・ブレイクやジョン・キーツら英国詩人による死の陰翳をまとった歌詞に基づく。

第1曲の《プロローグ》と終曲の《エピローグ》はホルンのみで奏でられる。この作品の練習
は、終曲から開始された。

この終曲ではホルンは遠くから響かせるという作曲者による指定がある。客席の後ろの、
礼拝堂の階上から、柔らかで透明感に満ちたバボラークのホルンの音色がこだまする。
厳寒のプラハの教会の礼拝堂に、たそがれ落日の田園の牧歌的な光景が広がった。

バボラークのホルンは、当然のことながら曲ごとに豊かな表情を見せる。4曲目の《賛歌》は
まさに彼の面目躍如といったところ。速いパッセージやめまぐるしく下降、上昇する音階を
余裕綽々と吹きこなすテクニックに舌を巻く。それでいて嫌味がない。

一方でトゥルノフスキーの指揮は、重力に素直に従いスピードと径を変えながら円を描くよう
に、抑制を効かせながら旋律を紡ぎ出す。音楽は決して誇張なく、終始自然な流れが保た
れる。そんな彼のスタイルは、このブリテンの作品にはこの上なく合う。

 

baborak-3.JPGその時の舞台の全員がカジュアルルックの(トゥルノフスキーは色鮮やかなニットだった)
練習風景から、次の晩の開演前の期待に満ちた満員の礼拝堂の様子、『セレナード』
終演後のなかなか拍手が起こらない客席の長い静寂へと、

私の記憶は中途半端に編集されたVTRのように、断片的になっている。そして終演後の
控室の光景が、その容量の大きな部分を占めている。

演奏に満足だったげで、トゥルノフスキーは温かく迎えてくれた。それまでに送った手紙
は周囲にも見せていたようで、「あの日本のマニア」とスタッフにも紹介してくれた。

バボラークは当時からチェコ・フィルの首席奏者だったが、まだプラハ音楽院の学生。
同僚らに囲まれて歓談していた。その奥には指揮者のイルジー・ビエロフラーヴェクの
姿もあった。

ビエロフラーヴェクと握手したのはその時が2回目。1992年のチェコ・フィル高崎公演の
時以来。やはり大きくて厚い掌だった。92年当時、チェコ・フィルもまさに激動期だった。

同フィル音楽監督だった彼は、音楽界にも訪れた民主化後の波を受け、翌年には解任
に近い形で自らその職を辞している。プラハ・フィルはその後に彼が設立した団体だった。
そんな彼も、2012年シーズンから20年ぶりにチェコ・フィル首席指揮者に復帰するという。

 

baborak-4.JPG6月にバボラークが高崎に来た折には、群響事務局のKさんにお願いして、楽屋を訪問して
みたい。十幾年前の演奏会の鮮明に残る印象を、伝えたい。手土産には、吉田だるまさん
にお願いして、それまでに「オーケストラだるま」のホルンバージョンを作ってもらおう。

久しぶりに、バボラークのディスクでブリテンの『セレナード』を聴く。伴奏者は違えども、あの
時のあの教会での演奏が頭の中によみがえってくる。またあの晩のような音楽に浸ってみ
たい。そんな追体験を叶えてくれるホールへの思いを、この街であらためて募らせる。


◎吉田だるま
   http://www.yoshida-daruma.com/
 「オーケストラだるま」は群響定期演奏会会場でも好評販売中です。 

◎群馬交響楽団
  http://gunkyo.com/concert/teiki 

 

 

darumahighb-1.JPGこれから記す文脈では銘柄を明らかにするのは憚られるが、ここ数ヶ月、自宅で
の食事のお供にしているのは、帰り道のコンビニでも近所の角の酒屋さんでも
ふつうに買える王様のイラストが描かれた国産の手ごろなウイスキーである。

でも『ウイスキーは日本の酒である』(新潮新書)の著者でサントリー・チーフブレ
ンダーの輿水精一さんの言葉に触れてみると、先人たちがこの舶来の蒸留酒に
注ぎ続けてきた情熱の恩恵を存分に与っていることに気づかされる。

日本に初めてウイスキーの蒸留所ができて90年足らず、大衆化の時代を迎えた
のは戦後になってからのこと。

発祥の地から陸海を隔てて遠く離れた極東の小国で、勤勉実直なパイオニアたちに
より磨かれ熟成されたこの酒は「ジャパニーズ・ウイスキー」として世界の5大産地
に数えられるようになり、

繊細なオリジナリティがじっくり溶け込み調和した逸品は、今や欧州の名門コンペ
ティションで上位の常連の座を占める。

 

darumahighb-2.JPGそんな高級品でなくても、この国の私たちの食事、和食にも合わせやすいのが
このウイスキーでもある。

確かに、冬の鍋料理やおでんにも、天ぷらにも焼きそばにも、宅配のピザにも
ハイボールや水割り、お湯割りと好みの濃さに自由に変えられて、食事をいっそう
進ませる。

食後や就寝前ならストレートやロックで。翌朝に残らないし、ありがたいことに
カロリーも低いという。

誰とどんなふうに飲むかでスタイルも自在だ。ひとり物思いに耽るのならストレート、
みんなでわいわい楽しく飲るのならハイボール、と気持ちを深く落ち着かせたり、
高揚させたりもする。


そんな日本独自のウイスキー文化が形成、定着していく過程で、大きな役割を果た
したのがサントリーの『オールド』。1950年生まれのこの銘柄は、発売当初は高級品。
「高嶺の花」だった。

でもそれはこの国が高度成長を遂げていくなかで大衆化、人気を博す。著名人にも
愛され、この国の企業戦士を癒し、数多くのドラマも生んだ。

そして、また、ここ高崎で、『オールド』から新たな物語が始まろうとしている。

 

darumahighb-3.JPGそのユニークなボトルの形状から「だるま」の愛称で親しまれる『オールド』、今まで
高崎で何故こういうコラボレーションが無かったのかと不思議なくらいだが、

「群馬をもっとおいしい街に!」をモットーに高崎市内の飲食店約20店で結成された
グループ、「点睛ぐんま」加盟店が、サントリービア&スピリッツの全面協力により
一斉に提供を始めるのが、その名も『高崎だるまハイボール』。

だるまボトルの『オールド』を使用、さらに陶製のオリジナルグラスは「高崎だるま」
をかたどった。

点睛ぐんま代表の伊与田さんは高崎にお越しになった方、またお住まい、お勤め
の方、皆さんにどなたにもおすすめできる仕上がり、と自信をみなぎらせる。

どんな味なのか?縁起物にふさわしく幸福を呼ぶような泡だち、七転び八起きで
また明日から元気に仕事に就けそうな・・・、もうすぐ味わえる一杯に思いを馳せる。

工房に伺うたびに、仕事の話からウイスキー談義、時にはとっておきのシングル
モルトを開封してくださることもある群馬県達磨製造協同組合理事長の中田さんも、

昨年からグラスのデザインのことなど貴重な助言をいただいたこともあり、また
ウイスキーファンとしてもこのハイボールの完成を心待ちにしていた一人だ。

年始のだるま市がひと段落した中田さんに、昨晩さっそく飲みアポを取った。さあ、
浴びるほど飲むぞ、『高崎だるまハイボール』!

 


darumahighb-4.jpg◎「高崎だるまハイボール完成披露パーティ」
  2012年2月19日(日)17時会場・18時スタート
  寿dining花火(高崎市連雀町25)
  内容、料金等詳細は同店(℡ 027-321-7888へ)

 

自分の周りに限ったことかどうかは判断しかねるが、物産を含め観光に携わる者は
加虐傾向か自虐傾向か、つまりはSかMかと問われれば、圧倒的にMが多いように
思える。

ある者は真夏の炎天下、真冬の風雪の中でひたすらイベント会場を駆け回り、ある者
は断られること承知で協賛金集めに奔走する。

または血気盛んな祭り団体のスタッフと顔合わせると公私分けなくイビラレれ続け、
限られた小遣いでは足りないほどの高級スイーツを買い食いまくる。でもそうしてる、
されてるときの表情は、みな決まって幸福そうである。

私がそんな表情を浮かべているのは、PR文句作りの時、頭皮をじんわり汗で湿らせ
ながら、言葉探しに苦悶している時に違いない。

 

m2012-1.JPG先週の読売新聞読書欄でロバート・キャンベルが書評を寄せていた小池昌代の短編集
『自虐蒲団』、そのタイトルと評中の「文字毒」という言葉が気になり、早速購入してみた。

竹久夢二の版画が印刷されたシンプルな表紙、恭しくパラフィン紙に包まれたこの本の
出版元は木阿弥書店という、小さな出版社のようで、ところどころ散見する誤植までも
微笑ましい。

収録された小説中の「鳩山邦夫元首相」って誰?故意なのか、それがユキオだったと
しても「私を信じて」とか「ともだちのともだちはナントカ」とか口衝いてしまう言葉の軽さ
に目に見えないかけがいのない兄弟愛を想い起こされる。

2010年に萩原朔太郎賞を受賞している詩人でもあり小説家の小池昌代、読んでて
てっきり男かと思ったけど、津田塾出身だからそうじゃないみたいだ。というのも
モテない(またはモテなそうな)男の描き方が上手い。

「言葉師たち」と著者が呼ぶ、言葉に関わりのある者たち13人をそれぞれ主人公に
据えた短編が収められたこの一冊。そこに登場する詩人(複数)や老女優、腹話術師
といった異性交遊に長けた男女よりも、

玩具の説明書作り、新刊小説のあらすじ書き、通販アパレル会社のコピーライターら
彼女いない歴30年の連中はリアルで、私など心から思い遣りたくなる。そんな彼ら自身、
またはその周辺が次々と文字毒によってあやめられる情景は哀憐の情を起させる。

中でもその境遇に自分を重ね合わせたくなるように、今の私がもっとも共振したのが
コピーライターの都築(『東京バルーン』)。

アパレル会社の宣伝部に所属する都築は、自らそう言わなくても生まれてから一度も
彼女がいたことがないような、背広より紋付羽織が似合いそうな30代の男。それでも

「春は出会い。ヌーディ色の短めワンピに、笑顔ひまわり」「サテンシルクのブラウスを
着て、ワンランク上の女をめざす」といったその容姿から想像できないようなコピーを
紡ぎだす。

都築の職場の周囲は最近配属されたイケメン新人を除きみな女子。そんな彼女らは
若くて頭が切れ、美しくて上昇志向が強い。ファッション業界の人間とは思えない垢抜け
ない出で立ちの都築は、彼女らにとって格好のストレスのはけ口だ。

捻り出したコピーが新鮮味ない、小学生並み、とこき下ろされるだけならまだしも、罵倒
の言葉はブタあるいは下駄、「死ね」とまでエスカレートする始末。それでも都築は耐える
というよりそんな置かれた身を悟ってさえいる。

 


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企画したツアーのタイトル、キャッチづくりに脳漿をしぼる。この時は決まってPC画面を
閉じ、マス目のノートにブルーブラックインクの太めの万年筆を握り、浮かんでくる言葉
をその都度掴んでその上に書きとめていく。

若くて美しくて上昇志向の強い女子に囲まれた都築が羨ましい。そんな女子が周りに
いない自分は、自問自答というより、もう何人かの自分らしき者と対話しながら、掬い
上げた言葉とつなげたり、削ったりしていく。

 ―――その言い回し、前も使ってたよね。もしかして、ネタ、尽きたん?

とってもSな誰かが頭の中に降りてきた。もうしばらく我が体じゅうに直球を期待する。

 ―――なんかワンパターン、最近の企画。

 ―――趣味もいいけど、公私混同、いい加減にしたほうがいいよ。
 
 ―――「ステキ女子」「自分にご褒美」って、それ何年前に流行ったの?死っ語ーっ!。

ツアー商品が掲載されたパンフレットが刷り上ってくる。
結局、落ち着いたタイトルとキャッチは、


    『 「ステキ女子」から「違いの分かる女子」への700歩
                  Barバラエティなまち歩き@高崎駅前 』


 ―――何それ?ホントにお客さん集まるの?

またお前かよ。もう降りてこなくていいよ、今さら。もう直せないし・・・。

 ―――何か、ビジネスホテルの宣伝文句みたい。それとも昔のインスタントコーヒー
     のCMじゃあるまいし・・・


m2012-3.JPG◎群馬県観光国際協会主催ツアー「はばたけ群馬 観光博覧会」
   2012年春夏商品掲載のパンフレットは、高崎駅観光案内所ほかで配布中です。

高崎駅東口の高崎市タワー美術館で、明後日5日から同館の開館10周年特別展
『平山郁夫展 ~大唐西域画への道~ 』が開催される。

平和への祈りを込めた作品を数多く残した日本画家・平山郁夫(1930-2009)氏。
仏教伝来の道程からシルクロードをテーマに描いた作品は特に広く知られている。

この展覧会では、国内最大規模の平山コレクションを誇る佐川美術館所蔵の
「大唐西域画」を始めとする約70点の本画、素描を展観するとともに、平山氏の
生涯と平和を追求した活動を紹介する。

 

hirayama1.JPGこれは平山氏らをモデルにしたのではないか、と思しき小説がある。

短編小説の名手とも呼ばれた三浦哲郎(1931-2010)の没後に未刊行作品3篇を含め
彼の短編全62篇をまとめて刊行された『完本 短篇集モザイク』(新潮社)に収まる
『いれば』。400字詰め原稿用紙で10枚ほどの小品。

この作品に限らず、あまりにも見事な練り選ばれた日本語で書かれた名手の作品を要約
するのは相当ためらわれるが、敦煌の莫高窟鑑賞のツアー一行が主な登場人物である。

 

hirayama2.JPG幸運にも滞在期限とあわせて修復が終わった未見の石窟群を訪れることができ、
「日本の文化界を代表する長老」一行8名は宿願を達した満足感と歓び喜びに心が常に
なく浮き足立つ。

そして、付き添った世話人らが思ってもみなかったオプションツアーを決行する。
道なき砂漠にジープを半日走らせ向かったのはゴビ砂漠とタクラマカン砂漠の境あたり
に残る玉門関という関所跡。

さすがにこの道中は平坦なアスファルト道に馴れた老人たちの身には応えた。その上、
急遽旅程を変更したため、翌日は早朝から飛行機の替わりに25時間の列車での移動。

ようやく到着したひなびたホテルのいつまでも準備中の看板が掲げられた薄くらいバー
の円卓で、話はクライマックスを迎える。

一行の中の詩人が上着のポケットから白いハンカチを取り出し、卓上に広げる。そして
両手で上あごの入れ歯を外してその上に置いた。仲間が訝しがるなか、中国文学者が理由
を尋ねると、砂漠の砂のせいかしっくりこないからと言い舌で歯茎をぬぐう。

すると洋画家が下あごの入れ歯を抜き取って詩人のものの隣に置き、小説の大家の見事な
純金の総入れ歯、温厚で遠慮深い日本画家の4個の部分入れ歯へと自主出品は連鎖する。
薄笑いを浮かべる団長の仏文学者は呆れるようでも羨望の表情をにじませる。

長老たちによる円卓上の入れ歯の品評会は、みなの放心と不思議な静寂に満たされて、
この話は終わる。

ダヴィンチの壁画、イエスと使徒の13人による『最後の晩餐』の張詰めた空気と対照的な
光景を思い浮かべる。敦煌の仏教美術を存分に堪能し、長旅で食欲は萎える長老8名が
集まる円卓。この「8」という数字に東洋的な意味を探してみたくなる。

何より、触れないとしても両手をかざしたくなるような、燻し銀のような輝きを放ち、閑雅な
香りを漂わせた、そしてこんなに清々しく描かれた入れ歯を私は他に知らない。


hirayama3.JPG高崎で人気のラスク。あのカリッとした食感のお菓子を美味しそうにかじる孫たちを、自分も
あんなふうに食べてみたい、とおばあちゃんは羨ましく眺めていた。でも入れ歯だとどうしても
食べるのがむずかしい・・・。

そんな街の声から生まれたのが、観音屋さんの「観音ソフトラスク」。2度焼きする、という
ラスクの定義はそのままに、用いた素材はカステラ地。

「日本一やわらかいラスク」と胸を張る店主の言葉のとおり、口の中に含むと、舌先だけで
甘くしっとりほどけていくほどのやわらかさが自慢だ。

観音ソフトラスクは街なかの中央銀座通りアーケードにある同店ほか、高崎駅E'siteの物産店
「群馬いろは」でも購入できる。高崎市タワー美術館『平山展』におでかけの際の、旬な一品。
美術館玄関から約160歩、入れ歯の温もりを保てる距離に、その売場はある。

 

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◎観音屋 
 高崎市中紺屋町22-1 ℡ 027-325-2000

◎高崎市タワー美術館 『平山郁夫展 ~大唐西域画への道~』(2/5~3/31)
 http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/art_museum/t/2011_05.htm