時折サッシの隙間から上州の空っ風が入り込むベニヤ敷きの工房、灯油ストーブに載せ
られた真鍮製の薬鑵からはやんわりと湯気が立ちこめ、射し込む西日が手元を仄かに
照らす。真紅のだるまをじっと見つめて、ひとり黙々と絵筆を運ばせる職人。見るからに
年季の入ってそうな前掛けには、幾重もの塗料が染み付いている。
『広報高崎』を読みながら目頭が熱くなったことがあっただろうか。今年最後の発行となる
12月15日号では、「高崎を代表する伝統工芸品」として高崎だるまが取り上げれれている。
そして「みなさんは高崎だるまのことをどこまで知っていますか」という読者への問いかけ
とともに特集は始まる。
この一年、物産振興協会の担当者として、高崎だるまの最新の出来事をメディアに届ける
業務にも携わってきた。特に創作だるまの話題など、幸いにもさまざまな媒体でたびたび
取り上げていただいた。これまでなかなか接点がなかった職人の方とお会いする機会にも
恵まれた。
ただ、日頃この業務に携わりつつ、気になっていたことがある。
確かに話題性ある商品はメディアでも取り上げられやすいが、この高崎の伝統工芸品を
支えてきたのは、百年以上変わらず、地道に、幾世代にもわたり製造を守ってきた小さな
工房の職人たちであること。そんな方たちの存在に目を向けてもらえるような機会は、
正直なところ余りなかった。
そんな中、年末に届いた広報高崎では、遠藤さん、須田さん、清水さんといった昔ながらの
だるま作りに励む職人が秀逸な写真とともに紹介されている。
またコメントも味わい深い。
「まだまだ納得いくだるまは作れない」年が明けると80歳を迎える職人は言う。そして
「買ってくれる人がいるから手が抜けない。不況なんか吹っ飛ばしてくれらぁ」とも。
なるほど、商業の街としての高崎が元気なのはだるまさんが見守ってくれているから、
といわれる事があるが、こんなだるま職人の言葉を耳にすると、冗談ともいえなそうだ。
国内外、変化の大きい一年だった。「CHANGE」を合言葉に世界中の希望を背負って
登場したオバマ大統領。海を隔てたこの国も同じく変化を求めて、そして期待をこめて、
その道を選んだ。それからまだ僅か100余日にもかかわらず、遥か昔の出来事のように
むなしさ交じりに感じてしまう・・・。
翻って高崎に目を向けると、天明の飢饉により苦しい生活を強いられてた農民の救済策
としてこの地にだるま作りがもたらされて約200年。その後も幾多の天災、不況、戦災を
生き抜き伝えられてきた工芸品について、2009年の出来事をあまり大げさに書き連
ねたら、達磨さんに嘲笑されるかもしれない。
でも、その数世紀に亘る歴史からみれば微かではあれ、変化が訪れたのは確かだと思って
いる。だるま職人自らによるこの動きが一出来事として終わることなく、何かしら後世へと
続く流れを形作る一滴となることを願う。
2010年、新年のだるまに目入れには、そんな思いを込めつつのぞみたい。(終わり)

